思考を巡らせて

人文の大学生が身の回りのことをてきとーに書くブログ

永遠回帰にはまるような

2ヶ月ぶりに書いてみた。
ここのところずっと考えていた。もしかしたら薄々前から考えていたかもしれないが…
根本的であって、生きるということの不明瞭さ。
これは少なからず、ニーチェの影響もあるかもしれない。しかし哲学関連の本を読んだといえ、それに興味を持つことと同調することは明らかに違う。
誰しも人間ならば、〈何のために生きるか〉について考えると思う。大学生の私にとっての今、私には生きるということに対して正直何も価値を見いだせない。
(もしかしたらメンヘラと捉えられてしまうかもしれないが笑)
これは徹底的に、自分を怠惰にさせてしまうだろう。
私の内にニヒリズムが入っているかもしれない。
生に対して価値を見いだすことはもしかしたら必要のないことかもしれない。そしてそれは決めつけかもしれない。ならば、生それ自体とは何なのか。そんなものどこに存在するのか。結論から言うと、わからない。今までも生という概念に関して、その定義を生み出してきた哲学者は確かにいる。しかし所詮はその人の仮説に留まり、真理ではないだろう。
話が少しズレたが、生に透明性がなければ、当然〈何のために生きるか〉という問いには答えられるはずもない。私はなぜ生き続けるのだろう。そして何のために生きるのだろう。
 今、考えた中で答えは2つ見つかった。それは何にも屈しなく、しかし流れに身を任せるという強靭な意志だ。これは人によっては茨の道になるかもしれない。私自身はそう思う。
 もう1つは〈何のために生きるか〉の何のためにの部分である。つまり目的を見つけることだ。普通に考えれば、この2つは容易に考えられると思う。しかし現状ではこれくらいしか思い付かない。
 こんなものかなと思う。なんだか、私の生活自体も同じことの繰り返しに思え、それが無価値に見えてきた。
 思考をめぐらせてみたが、意外と自分はペシミストかもしれない。そこだけは面白いと思う。
 大学3年でこんな感じでいいのかなあと思う。だが仕方ない、所詮こんなものなのだから。そして意外と私は大海の前の浅瀬をがむしゃらにもがき、無意味に体力を消耗させ、繰り返すことで自己満足に浸っているだけかもしれない。

始めてみました

こんにちは
最近思うところがあってブログ始めてみました。
本当は気持ちを一新させるために、4月の大学が始まる頃に始める予定だったんですが(笑)
本読んでいるにしても、区切りが悪い私なので、もうそんなことは気にしません(笑)
さて、私がブログに興味を持った理由はいくつかあるのですが、最近、物事を考える=思考することが多くなって、どうにかそれを表現できないかな、と思ったのが一番のきっかけです。「そんなこと、周りの友達に話せばいいじゃん。」。こんな感じに思う人もいるかもしれないですが、はっきり言って、私達が思考したことを伝える、話言葉と、書いて伝える書き言葉は大きく違うと考えます。私は話言葉では表現しきれない、何かがそこにあると考えています。とりあえず、言葉についてはまた後日のブログに載せます。ここで書くと長くなってしまう気がするので(笑)
とにかく、頭で思ったことを話すという行為ではなく、書くという行為で表現したかったということが一番言いたかったのです。またそれが単に紙媒体でなかっただけの話です。
私のブログの内容ですが、多分てきとーに疑問に思ったことについて書くと思います。まあ専攻が哲学、思想なのでそれらが多くなると思いますが、、
あとは本についても書こうかなと思っています。
最近、久々に本を読むようにもなりましたし…
今はリルケの『マルテの手記』『Die NIBELUNGEN』
(二ーベルンゲン物語)などを読んでいます。
リルケに関しては表現、言い回しが独特すぎて、少し難しいですね。まああまり文学を読んでいなかったのでそのせいかもしれませんが…
二ーベルンゲン、こちらは独語で書かれていますが、なんとか読むことができます。話もわかりやすいし
原著を読むための練習にもなりますしねー
これらを読み終えたら、デカルトの『方法序説
サンデルの『これから正義の話をしよう』
を読もうと思っています。
それに長倉先生に奨められた鴎外の『かのように』
オイディプス王』、それに『オデュッセイア
辺りは読んでおきたいかなあと思っています。
読みたい本が多すぎるので、順位付けするのが難しいです。



こんな感じの初ブログでしたが、文章書くのって難しいですね。途中から言いたいことがごちゃごちゃになってきました。(笑)
もうちょっと整理できるように頑張りますね(笑)


ではまた


プロタゴラス:人間は万物の尺度である