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思考を巡らせて

人文の大学生が身の回りのことをてきとーに書くブログ

煙草吸いながら、、、

今日も活動してきた。

ちなみに今煙草を吸いながら、最近お気に入りのedmを聞き、ニュース番組を横見にこのブログを書いている。不思議なもので私は一つの事を主としてやろうとする時、同時に複数の事をやろうとする。もちろん頭では複数の事を全部やろうなんて思ってないし、音を同時に聞きとり、煙草を吸いながらキーボードを打ち、PCとTVの画面を両方見るなんて物理的に無理に決まっている。あの有名な厩戸王が豊恥耳といわれたように10人の話を理解し、それぞれに的確な答えを出した逸話は嘘らしく私は感じられる。いや、自分という人間と私の友人との違い、、私の友人が優秀で、私とは特異なことができるといったようにあり得る話なのかもしれない。こんなようなことを、久々に感じる雨に濡れ、死んだ思考でだらだらと考えていた。最近煙草を吸いすぎている気がする。よくないな、と思うものの吸ってしまう。炬燵の上でだらだらしていると頽廃してしまう気がする。しかしedmで復活する。なんだかよくわからない。今日思ったのは、家にいるとダメになる、確実に。まだ、喫茶店で勉強か読書している時の方が有意義である。読書の幅も少しづつ広がっている気がする。昨日は『火花』を挙げたが、鴎外の阿部一族、かのように、雁、を読んだ。あと舞姫再読。かのようには鴎外の初期の思想が込められているとのことで、かのようには独逸語でDie Philosophie des Als OB(ディー・フィロゾフィー・アルス・オップ)という。辿ってみるとそれはHans Vaihinger(ハンス・ファイヒンガー)という人の論文でかのようにの哲学なのだという。詳しくは書かないが、鴎外がかのようにでその具体性を話していて、とても魅力的に感じられた。後のアドラー心理学でとり扱われているらしい。(アドラー心理学はよく知らないが)

『火花』が芥川賞を取ったが、芥川龍之介羅生門しか読んだことがなかったので羅生門を読み直し、鼻、芋粥、蜃気楼を読んだ。蜃気楼は芥川の後期作であり、死の直前に書かれたことを知ったので、よく理解できなかった。というより読む順番を間違えたというべきだろうか。そして岡倉天心の『茶の本』。この本は西洋に対し批判の念を込めて、天心が日本の文化を誇示するものだった。道教禅宗の中国文化の話は申し訳ないが、ピンとこなかった。しかし利休を代表とする茶室のわびさび、花の章では西洋と日本の花の関わり方とても共感できた。

さて、そんな事を話している内に眠くなってきた。炬燵に入っていると、足が暖かいから良くない。それでは、また。