思考を巡らせて

人文の大学生が身の回りのことをてきとーに書くブログ

NHK特集にて

NHKクローズアップ現代にてアメリカの過激思想「オルト・ライト」の特集が放送されていた。アメリカでは過去にもKKK、そしてネオナチと白人至上主義を提唱してきた集団が台頭してきたが、現在は「オルト・ライト」が頭角を現してきているようだ。事実上のリーダー、リチャードスペンサー氏はアメリカメディアのインタビューで「あなたは差別主義者ですか。」との問いに、「もちろん。差別主義者で構わない。」と述べているという。アメリカで過去に白人至上主義が最高潮に達したときには84%の白人が人種の割合を占めていた。しかし近年の専門家の予想では白人と黒人の割合が逆転する現象が起きると予想している。スペンサー氏によると、歴史的に迫害をしてきた白人が、今度は黒人のために自分たちの権利を奪われていると主張する。例えばアファーマティブ・アクションは、本来人間は平等でなければならないのであるが、黒人優遇のために白人が権利、機会を奪われてしまう平等の中の不平等がある。それは黒人がマイノリティーであるために行われてきたことであるが、白人個人にしたら平等とは言えないのだ。そしてこの「オルト・ライト」の中心となる年齢層は極端に若者の白人に偏っているといわれる。例えば、大学入学にアファーマティブ・アクションが利用されて権利を奪われるということになれば、「オルト・ライト」の思想に同調しやすいのであろう。

あとは台頭の要因としてはトランプ氏が大統領就任したことである。彼が就任したことにより、影に隠れていた白人至上主義者達が表に出てきて、思っていたことを表明するきっかけになったのだ。広告党としてトランプ側近のバノン上級顧問は「オルト・ライト」を広めた一人であると言われているし、ミラー大統領補佐官もそうである。ある黒人がテレビインタビューの中で、「もはやアメリカは暴力が蔓延した国家になってしまった。人種差別を無くすことは対話では不可能だ。暴力無しでは。」と述べていた。アメリカは移民国家として人種のるつぼとも言うべき大国家であるだけに、多様性、多種族を尊重し、本当の平等を求めていってもらいたいものだ。そして日本にいる私達も日本の都市で歩いている外国人に異様な目つきで見ていないと言い切れるであろうか。人種差別を肯定するつもりは毛頭ないが、私は知らず知らずの内に差別的な行為を取っていないだろうかと自分の胸に聞き直すきっかけになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

煙草吸いながら、、、

今日も活動してきた。

ちなみに今煙草を吸いながら、最近お気に入りのedmを聞き、ニュース番組を横見にこのブログを書いている。不思議なもので私は一つの事を主としてやろうとする時、同時に複数の事をやろうとする。もちろん頭では複数の事を全部やろうなんて思ってないし、音を同時に聞きとり、煙草を吸いながらキーボードを打ち、PCとTVの画面を両方見るなんて物理的に無理に決まっている。あの有名な厩戸王が豊恥耳といわれたように10人の話を理解し、それぞれに的確な答えを出した逸話は嘘らしく私は感じられる。いや、自分という人間と私の友人との違い、、私の友人が優秀で、私とは特異なことができるといったようにあり得る話なのかもしれない。こんなようなことを、久々に感じる雨に濡れ、死んだ思考でだらだらと考えていた。最近煙草を吸いすぎている気がする。よくないな、と思うものの吸ってしまう。炬燵の上でだらだらしていると頽廃してしまう気がする。しかしedmで復活する。なんだかよくわからない。今日思ったのは、家にいるとダメになる、確実に。まだ、喫茶店で勉強か読書している時の方が有意義である。読書の幅も少しづつ広がっている気がする。昨日は『火花』を挙げたが、鴎外の阿部一族、かのように、雁、を読んだ。あと舞姫再読。かのようには鴎外の初期の思想が込められているとのことで、かのようには独逸語でDie Philosophie des Als OB(ディー・フィロゾフィー・アルス・オップ)という。辿ってみるとそれはHans Vaihinger(ハンス・ファイヒンガー)という人の論文でかのようにの哲学なのだという。詳しくは書かないが、鴎外がかのようにでその具体性を話していて、とても魅力的に感じられた。後のアドラー心理学でとり扱われているらしい。(アドラー心理学はよく知らないが)

『火花』が芥川賞を取ったが、芥川龍之介羅生門しか読んだことがなかったので羅生門を読み直し、鼻、芋粥、蜃気楼を読んだ。蜃気楼は芥川の後期作であり、死の直前に書かれたことを知ったので、よく理解できなかった。というより読む順番を間違えたというべきだろうか。そして岡倉天心の『茶の本』。この本は西洋に対し批判の念を込めて、天心が日本の文化を誇示するものだった。道教禅宗の中国文化の話は申し訳ないが、ピンとこなかった。しかし利休を代表とする茶室のわびさび、花の章では西洋と日本の花の関わり方とても共感できた。

さて、そんな事を話している内に眠くなってきた。炬燵に入っていると、足が暖かいから良くない。それでは、また。

『火花』を読んだ。

寒い寒い2月中旬ですが、夏用のスーツで会社説明会に行きました笑

という前置きはどうでもいいとして、、、えー、、これからは不定期で書いていこうかと思います。そこは深入りしないでください笑

 話は変わって、文春の文芸誌に又吉さんが載っていました。記事を読んでみると、どうやらあの芥川賞『火花』以来の本を出すそうです。私はあの時の芥川賞直木賞作家さんでは羽田さんしか読んでなかったので(今、『流』読んでます。)芸人が書いた文学はどんな文章なんだろうと思いながら、この間、『火花』を読みました。読んでみた結果・・・・・んー笑。イマイチでした。某テレビ番組では確かに羽田さんが言っていたように、描写はすごく上手だと私も感じました。ストーリーもそんなに悪くはない、、、と思う。まあストーリーはその人が何をジャンルとして好きかということだと思うから、一概に良い悪いは言えないんだけどねー。これはあくまでも私の中の話だけで、イマイチだと思ったのは・・・・・全く文章に魅力がなかったってこと。え?何が言いたいのだって?例えば、同じ芥川賞作家の羽田さんも純文学作家だけれど、彼が高校時代に書いた処女作『黒冷水』に全く及ばないと思う。なんていうかな、、、二人とも話自体は平凡なんだけれど文章の展開が又吉さんは読めてしまって、羽田さんは全く読めないんだよね。もちろん羽田さんの方は良い意味で。やっぱり話の展開が読めてしまうと、退屈になってしまうんだよなー。平凡な話の中に展開が読めないってすごく難しい技量だと思うんだけど、特に今回のは見比べてみて思いましたね。羽田さんの『ワタクシワ』も主人公は設定がめちゃくちゃだったけど、結構リアルに感じられたなー。

 さて、『火花』はイマイチということでした。申し訳ないけど、芥川賞の選考基準を教えてほしい。某動画サイトで書評を見たけど、イマイチでした笑

下旬から忙しいけど、春休み入ってから読書ペースが一日一作なんで、またブログあげます。

それじゃー

遅すぎる転換期

新年明けましておめでとうございます。 もう一週間も経っているというのに、、、、
全くブログ更新せずにマイペースに過ごしてましたー
しかも3年のこの忙しい時に、どうしようもないです笑
さて、今まで興味をもってドイツ語、英語、哲学に興味を持ち、勉強してきました。当初は周りの誰からも、そういった思想や語学などで飯を食ってはいけないよと、私が話をする際に常々言われてきました。確かにその通りです。正しいと思います。しかし何にも興味が持てず、ただダラダラと過ごす3年までの学生生活の中で、唯一、哲学という学問に出逢えて非常に嬉しかったです。他の人から見たら、大丈夫かコイツ的な目線で見られていたと思います。笑
しかし、私はある先生から教わった[物事の考え方]を養う、養うとは少し表現が可笑しいかもしれないけれど、知るということが心に残りました。哲学が実社会から離れたものであることは書や講義においてわかっていました。でも特に2年、直近まではそうしたことに対して、どこか心のひっかかりがあったのです。それは本来個人個人が、正しさに縛られず考えていくものであると信じていたからであります。そして楽天的で、能天気、さらには受動的な私はそうした考えること一切がそれまでの私の本性を変えていきました。
それはまるで、暗中において光がさしこんだようでした。まあ、興味だけが先行するばかりでテクストを読む力もなく、結局わずかしか書も読めないですし、ドイツ語も英語も中途半端です。要するに先へ進むためには実力もなく、意志も弱い、いわゆる学問に対しスタートラインにすらたてなかったわけです。しかし刹那的な楽しさを知れて、まだまだこの先知らない世界が待っているんだなぁと思いましたよ。だから後悔しても仕方ないことですね。職に就くためね活動の中で、こういうことを学んでいなかったら、ソッコーメンタルやられていましたよ笑元々後悔を引きずりまくっている今までの人生なので笑
ニーチェが言ってた、元々強い人間と弱い人間の道徳には反発したいけど、今の私には言い返せません笑
でも、この長い、肉体は強いので笑、人生の中でどうにか自分のやりたいように一瞬でもいいからやってみたい気はします。
くそ長くてつまらない人生観笑はそろそろやめて今後の話をしましょうか。まず、ちらっと言ったかもですが、シューカツですね。かなり出遅れてますがww
この年だと、親にももう頼れませんし、親もどこか就職して自立して欲しいと思っているでしょう。
かなりお先真っ暗状態かもしれないですけど、やるしかないでしょ。経験的によく言われてるけれど、やらないよりやったほうがまし。これはその通りだとおもいます。だからといって職に就けなかったら中々大変なんで、出遅れた分、どこかで辛い思いをしなければならないんですが。
そしてこのブログのお話。今まで全く更新していなかったので、特に、というかんじですが、閉鎖ということで。まあ無事就職できたら、また報告しにくるかもですが、多分忘れてるかもしれません笑
最後に今まで一瞬でも私の拙い文章や私の考え、たった2記事ですが、目を通して頂きありがとうございました。

永遠回帰にはまるような

2ヶ月ぶりに書いてみた。
ここのところずっと考えていた。もしかしたら薄々前から考えていたかもしれないが…
根本的であって、生きるということの不明瞭さ。
これは少なからず、ニーチェの影響もあるかもしれない。しかし哲学関連の本を読んだといえ、それに興味を持つことと同調することは明らかに違う。
誰しも人間ならば、〈何のために生きるか〉について考えると思う。大学生の私にとっての今、私には生きるということに対して正直何も価値を見いだせない。
(もしかしたらメンヘラと捉えられてしまうかもしれないが笑)
これは徹底的に、自分を怠惰にさせてしまうだろう。
私の内にニヒリズムが入っているかもしれない。
生に対して価値を見いだすことはもしかしたら必要のないことかもしれない。そしてそれは決めつけかもしれない。ならば、生それ自体とは何なのか。そんなものどこに存在するのか。結論から言うと、わからない。今までも生という概念に関して、その定義を生み出してきた哲学者は確かにいる。しかし所詮はその人の仮説に留まり、真理ではないだろう。
話が少しズレたが、生に透明性がなければ、当然〈何のために生きるか〉という問いには答えられるはずもない。私はなぜ生き続けるのだろう。そして何のために生きるのだろう。
 今、考えた中で答えは2つ見つかった。それは何にも屈しなく、しかし流れに身を任せるという強靭な意志だ。これは人によっては茨の道になるかもしれない。私自身はそう思う。
 もう1つは〈何のために生きるか〉の何のためにの部分である。つまり目的を見つけることだ。普通に考えれば、この2つは容易に考えられると思う。しかし現状ではこれくらいしか思い付かない。
 こんなものかなと思う。なんだか、私の生活自体も同じことの繰り返しに思え、それが無価値に見えてきた。
 思考をめぐらせてみたが、意外と自分はペシミストかもしれない。そこだけは面白いと思う。
 大学3年でこんな感じでいいのかなあと思う。だが仕方ない、所詮こんなものなのだから。そして意外と私は大海の前の浅瀬をがむしゃらにもがき、無意味に体力を消耗させ、繰り返すことで自己満足に浸っているだけかもしれない。

始めてみました

こんにちは
最近思うところがあってブログ始めてみました。
本当は気持ちを一新させるために、4月の大学が始まる頃に始める予定だったんですが(笑)
本読んでいるにしても、区切りが悪い私なので、もうそんなことは気にしません(笑)
さて、私がブログに興味を持った理由はいくつかあるのですが、最近、物事を考える=思考することが多くなって、どうにかそれを表現できないかな、と思ったのが一番のきっかけです。「そんなこと、周りの友達に話せばいいじゃん。」。こんな感じに思う人もいるかもしれないですが、はっきり言って、私達が思考したことを伝える、話言葉と、書いて伝える書き言葉は大きく違うと考えます。私は話言葉では表現しきれない、何かがそこにあると考えています。とりあえず、言葉についてはまた後日のブログに載せます。ここで書くと長くなってしまう気がするので(笑)
とにかく、頭で思ったことを話すという行為ではなく、書くという行為で表現したかったということが一番言いたかったのです。またそれが単に紙媒体でなかっただけの話です。
私のブログの内容ですが、多分てきとーに疑問に思ったことについて書くと思います。まあ専攻が哲学、思想なのでそれらが多くなると思いますが、、
あとは本についても書こうかなと思っています。
最近、久々に本を読むようにもなりましたし…
今はリルケの『マルテの手記』『Die NIBELUNGEN』
(二ーベルンゲン物語)などを読んでいます。
リルケに関しては表現、言い回しが独特すぎて、少し難しいですね。まああまり文学を読んでいなかったのでそのせいかもしれませんが…
二ーベルンゲン、こちらは独語で書かれていますが、なんとか読むことができます。話もわかりやすいし
原著を読むための練習にもなりますしねー
これらを読み終えたら、デカルトの『方法序説
サンデルの『これから正義の話をしよう』
を読もうと思っています。
それに長倉先生に奨められた鴎外の『かのように』
オイディプス王』、それに『オデュッセイア
辺りは読んでおきたいかなあと思っています。
読みたい本が多すぎるので、順位付けするのが難しいです。



こんな感じの初ブログでしたが、文章書くのって難しいですね。途中から言いたいことがごちゃごちゃになってきました。(笑)
もうちょっと整理できるように頑張りますね(笑)


ではまた


プロタゴラス:人間は万物の尺度である